宗教 佛教
宗派 浄土宗   https://jodo.or.jp/
宗祖 法然上人
開宗 承安五年(西暦1175年)
本尊 阿弥陀如来
宗紋

「月影杏葉」
教え 阿弥陀如来さまのご本願を信じ「南無阿弥陀仏」と声に出してお念仏を唱えることを行い、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です
お経 お釈迦様がお説きになった「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経をよりどころとします
浄土宗の教えについて

浄土宗は、法然上人を宗祖と仰いでいる宗旨です。法然上人は、平安時代末期の1133年に現在の岡山県(当時の美作の国)にお誕生になりました。
幼少にして父を失い、それを機会に父の教えのままに出家して京都(滋賀)の比叡山にのぼって勉学し、当時の仏教・学問のすべてを修した後、ただひたすらに仏に帰依すれば必ず救われる。すなわち南無阿弥陀仏を口に出してとなえれば、必ず仏の救済をうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる、という他力のおしえをひろめられました。
当時の旧仏教の中でこの新しい教えを打ち出されただけに、いろいろな苦難がつづきました。貴族だけの仏教を大衆のために、というこの教えは、日本中にひろまり、皇室・貴族をはじめとして、広く一般民衆にいたるまで、このみちびきによって救われたのでした。
法然上人は、どこにいても、なにをしていても南無阿弥陀仏をとなえよ、とすすめておられます。南無阿弥陀仏と口にとなえて仕事をしなさい、その仏の御名のなかに生活しなさい、と教えられています。こうした教えがひろまるにつれて、それが新しい宗教であったため、いろいろなことで迫害をうけました。そのときでも、法然上人はこの教えだけは絶対やめませんという固い決意をあらわしておられます。
また、亡くなるときにも、わたしが死んでも墓を建てなくてもよろしい、南無阿弥陀仏をとなえるところには必ずわたしがいるのですといって、その強い信念を示されました。亡くなってから800年以上経ちますが、その遺言とは反対にお寺がたくさんできたということは、いかに法然上人の教えがわれわれ民衆と共にあって、その教えを慕わずにおられなかったか、という心のあらわれであります。
南無阿弥陀仏の仏の御名は、すぐ口に出してとなえられます。できるだけたくさん口に出してとなえるほど、私たちは仏の願いに近づくことになるのです。するとわたくしたちはすなおな心になり、今日の生活に必ず光がさし込んできて、活き活きとした、そして、平和なくらしができるようになります。それは明日の生活にもつづいて、日ぐらしの上に立派な花を咲かせてくれます。

法然上人の教えは、今生きることによろこびを感じることであります。念仏をとなえながら、充実した日々をお過ごし下さい。

ご本尊について
阿弥陀三尊

阿弥陀様とお釈迦様

阿弥陀さまも、お釈迦さまも共に仏さまであり、仏とは悟りを開いた方をさす。悟りの世界では物事の成り立ちが手に取るようにわかり、悩みも苦しみもない自由で平安な世界です。
お釈迦さまは、今からおよそ2500 年の昔、悟りを開いて仏となり、多くの人々を救うために教えを説かれました。その教えが仏教であり、その中でお釈迦さまは、遠い過去に悟りを開き、今も人々に救いの手をさしのべている仏さまの事を説き教えられました。そのお方こそが阿弥陀さまなのです。

阿弥陀三尊

浄土宗の本堂の正面真中におまつりされている仏さまが阿弥陀如来、向って右が観音菩薩、左が勢至菩薩です。菩薩とは、もともとは仏になるために修行する人のことを言いましたが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀仏の分身として、その働きを助ける者という考えです。
阿弥陀さまは、どのような人でも区別なくお救い下さいますが、阿弥陀さまが、慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされます。